倉吉の無弟と民藝

久保田さんと中村は、板画家の長谷川富三郎さん、哲学者の柳宗悦さんや南方熊楠さんの考え方を紹介しあい、今後の制作方針について毎日打ち合わせを重ねています。


柳宗悦さんは、イギリスの陶芸家バーナード・リーチとの交流に影響を受け、「民藝」という造語を作り、陶芸家の河井寛次郎さん・浜田庄司さん・富本 憲吉さんと連名で、1925(大正14)年に日本民藝美術館設立趣意書というものを発表しました。これをきっかけに民藝運動がはじまり、「民藝」が多くの人に新しい美術の考え方、作品の見方として受け入れられていきました。民藝とは、日常の生活に使う「民衆的工藝作品」の略称だそうですが、いまでは手仕事で作られる工芸品などをさす言葉として広く浸透しています。


伝統の手技から生じる無心、名もなき職人の無名性(非個人性)・各地の人々の暮らし(風土性)の中から生まれる「民衆的」な工芸品には、美術品として個人の作家が作る「貴族的」な工芸品に負けない価値があるのだと、民藝運動では提唱されます。また、いわゆる工業製品のような安価な大量生産品は、用途や実用のために作られる物で工芸品に似ていますが、「用を次にして利を先にする」ために、「私的な利と、公な美とが一致することはあり得ない」として、工業製品には民藝品のような美しさはないのだと批判もします。民藝は、社会制度や経済システムに大きな変化がもたらされ、輸出貿易に急激に特化する大正時代の日本社会の中で、物の価値、「手仕事」の文化、自分たちの質実な暮らしを見直そうと呼びかける活動でした。(鉤括弧は、柳宗悦『民藝とは何か』(講談社、2006年)から引用)


今回のAIRで作品構想と同時にリサーチをしている倉吉在住の板画家・長谷川富治郎さん(号(作家名)は無弟)は、こうした民藝運動の中心メンバーと深い関係にあったようです。

長谷川さんは1910(明治43)年生まれ。明倫小学校に勤めながら、画家として積極的に油絵を描いていたそうです。戦前、民藝運動のプロデューサー的な役割を担い、鳥取の工藝職人たちとも深い関わりを持っていた吉田璋也さんが倉吉で医師をしていたころに、長谷川さんと吉田さんは出会います。そこで、長谷川さんが吉田さんに「物と心の相関関係」を学びたいと相談したところ、それではと、民藝運動を牽引する柳宗悦さんを紹介されました。1938(昭和13)年、日本民藝館へ柳さんを訪ねに行ったら、次は益子(栃木県)に住む河井寛次郎さんを紹介され、訪ねて回ったということです。青森出身の板画家・棟方志功さんに影響を受け板画制作を始めるのは、戦後になってから。

長谷川さんは、1987年、鳥取市で開催された第41回日本民芸協会全国大会の基調講演をご担当され、その時の講演内容を残しておられました。その中で語られるいろいろなエピソードからも、民藝から実に多くのことを学んだのだなあということがわかります。


「民藝」という考え方は、社会背景と当時の作り手たちの実情に沿って生まれたもので、今の世の中にそのまま当てはめることはできないですが、とても現代的な要素を含む、魅力的な考え方だと思います。長谷川富三郎さんや長谷川さんが拠り所にしていた「民藝」について目を配りながら、私たちのものづくりにも通用することが掘り起こせないかなーと、身を引き締めつつ、考えています。


われわれは、まだいろいろ日本の国でやらんならんことがいっぱいあると思います。そして物と心の相関関係を中心にして、柳先生の言葉で言いますと、「美によって義とせらるる国」という国をつくらないかん。これも柳先生に私が聞いたんでございますが、「先生『美によって義とせらるる国』というのは、どういう国なんですか」。「それはな、宗教家が宗教で世の中を正していこうというように、われわれ民藝の者は、民芸という生活具の美を問題にして、正しい世の中にしていこうという悲願に燃えておるのだ」と言われました。(長谷川富三郎『学びつつ教えられつつ』無弟庵、2000年、日本民藝協会・全国大会に於ける講演録再販)


久保田さんが学生時代から注目していたという南方熊楠の「事の学」は、「物」「心」「事」というキーワードを使って夢やイメージを分析しています。


今回はわたしたち現代アーティストも、こういった先人たちの考え方をベースに、明倫AIRでリサーチしたものごとから何を作るか考えてみたいと思っています。


AIRは毎回、新しいチャレンジができるワクワク感と、はたして自分になにがどこまで提案できるのだろうかという産みの苦しみのせめぎ合いだという気がします。


長谷川さんの資料については、地元の方から、他では手に入れることが困難な私家本や少部数の出版物などをお借りすることができ、読み進めています。また、「いわくらラボ」でお話いただいた、山陰民藝の田村幹夫さんならではのトークから、長谷川さんの人柄や明倫地区での暮らしぶりなどをお聞きし、大変参考になりました。

みなさん、ありがとうございます〜。


中村

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